能楽現在形 劇場版@世田谷 半能 『融(とおる)』/能『舎利(しゃり)』
鑑賞日:6月22日(日)18:00
女性
萬斎さんの舞台を拝見するのは、昨年、パブリックシアターで上演された「翁三番叟」以来で、私自身、パブリックシアター10周年記念として催された狂言の舞台に出演する機会を得た際にも、大変お世話になりました。
先の舞台は、公募で選ばれた区民がわずか3か月という短い稽古期間を経て狂言を演じるという企画で、稽古をつけていただく側はもちろん、ご指導にあたられた先生方も、どんな舞台になる事かと思われたのではないでしょうか。
狂言を観た事があっても、狂言の決まり事(摺り足、台詞の抑揚、所作など)を自身が実践するのは初めて。本当に稽古と自主練習に明け暮れた日々があって、パブリックシアターの檜舞台に立つ事が出来ました。
狂言の家に生まれた人間以外、女性では上がることがない檜舞台はその名の通り檜のいい香りが漂っていました。
更に、私たち区民が驚いたのは衣装でした。野村家が代々受け継いでこられた伝統ある狂言の衣装を私たち区民に着付けて下さったのです。舞台裏で整然と並べられた衣装を野村家一門の皆様に着付けて戴いた時は、本当に身が引き締まる思いでした。
かつてない充足感を得られたあの3か月。改めて機会を与えて下さった皆様、舞台を支えて下さった皆様に感謝申し上げます。
そして今日、“能楽現在形”で萬斎さんはどんな舞台を魅せて下さるのか、とても楽しみにまいりました。伝統芸能“能” をどの様にアレンジされていくのでしょう。今回は敢えて予備知識を持たずに鑑賞させていただきました。
まず、最初に客席の扉を開けて驚いたのは檜の舞台が無かったこと。しかも舞台だけでは無く背景も黒幕、地明かりもない暗転から“能楽現在形”は始まったのです。
四角くて黒い舞台の後方には、上り坂のスロープがあり、四隅の柱(笛柱、ワキ柱、シテ柱、目付柱)も黒、まるで全てが闇の中、どの様に面(能を御存じの方ならお分り戴けると思いますが、能面には目の所に小さな穴が開けられていて、その小さな穴から見えるものだけを頼りに演じられているのです)の中から立ち位置の確認をされるのかと考えてしまいました。
真っ暗な闇の中に大きな月が映し出され、大鼓、小鼓、太鼓、笛の音色と地謡、かつて観たことない幻想的な空間で『融』は始まったのです。
『融』は源氏物語の光源氏のモデルになったとも言われる平安の貴人、源融の霊が月夜に舞う姿を描いた作品です。(プログラムより抜粋)
満月の中、ありし日のとおり融が雅な姿で舞を尽くす姿、床に吸い付いている様な美しい足運びに、巧妙なお囃子との掛け合い、客席にある私の体は無意識にリズムを刻んでいました。
そして、月に照らされた美しいシルエットで月の世界へ(暗)。
今回私が観賞させていただいたのは『融』「遊曲」(宝生流)ですが、他の2日で「十三段之舞」(観世流)、「笏之舞」(喜多流)をご堪能された方もいらっしゃるでしょう。
暗がりの舞台に放たれたスポットライト、そして舞台にはスモークが沸き立ち、ロックコンサートの演出のよう。そして青、黄、赤とライトの色が変わる中で、仏舎利を盗んで逃げる足疾鬼と韋駄天の戦いを表現。そこに、お囃子の乱れ打ち。
最後に天井(天井を造ってしまうというのも画期的)が落ちる場面では、無表情だった足疾鬼の「面」が微笑んだ様に見えたのは私だけでしょうか。
もし、私にも次回があるとしたら、“足疾鬼と韋駄天”の様な役(大スペクタクル)に挑戦してみたくなりました。
舞台の両側には英語字幕スーパー(Bloomberg協賛)がありました。たとえば「心得申し候」は“Yes, of course”と訳されており、外国人の方にも分かりやすく観て戴けたのでは無いでしょうか。狂言は昔の言葉で難しい表現も有りますが、日本人の私が字幕を見て理解出来た個所もあり、「能」を鑑賞する外国人の方の気持ちも味わえました。
終演後のポストトークには、2006年以来ユニットを組まれている一噌幸弘さん、亀井広忠さん、そして金井雄資さん(本日の足疾鬼)をお迎えして、去年からこの様な能楽現在形になった事、舞台の高さが能楽堂の二倍有る事など楽しいお話を伺う事が出来ました。
世田谷パブリックシアターは、区民にとって催される作品を単に観に行く劇場では無く、萬斎さんの様な芸術監督を始め、シアター運営に関わるアーティストの方々や制作スタッフの方々が区民参加型の企画を展開して下さるので、観劇プラスアルファ、地域住民が文化、芸術に触れることができる素晴らしい施設だと私は思っています。
定期的に行われているSeptワークショップ、劇場ツアー、土曜劇場プレイ・パークなど、これからも世田谷区が文化、芸術振興を積極推進されていることが実感できるような催事を是非、企画して下さい。心より期待しております。
