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<区民レポーター>舞台のはかなげな楽しさが、ふっと貴重で切実なものに思える

シアタートラム ネクスト・ジェネレーション vol.2
快快(faifai)『インコは黒猫を探す』

世田谷区芸術アワード“飛翔”2008受賞者公演

鑑賞日:1月20日(水) 19:00~
男性

 シアタートラムの建物に入ったときから、作品はもう始まっている。ロビーには舞台となった長原の模型が置かれ、客席への通路には作品に関係するオブジェが吊り下げられている。そしてステージの壁には長原の風景やインコの映像、床にはリモコンで動くインコの模型。観客はそれらを見たり見なかったり、友人と話したりしながら開演までの時を過ごす。そのくつろいで開放された感じが保たれたまま、作品は始まる。

 劇とその前後の時間、劇場とその外の空間などいろいろな境界に風を通し自由に行き来できるようになっているのが、快快という空間なのだろう。

 作品は、ある記憶を再生しようとする試みといえる。それは長原に住む一人の若者の三年前の日々だ。可愛がっている二羽のインコ、家の近くにいた黒猫、訪れる友達。猫はもういない。しかしインコは、猫がいつも座っていたあたりを今でも探すように眺めている。変わらないものと消えてしまったもの。しかし覚えていれば、今ここに再現することができる。

 いや呼び出すまでもない。人間は記憶とともに生きているのだから。今現在、さまざまな過去の時も同時に流れている。作品の中でも、二つの時間は次第に交じり合っていく。この舞台では同じ人物の今と三年前を別の人が演じているのだが、その両者が同時に存在して会話したりしだす。

 この三年の間、世界では大変なことがいくつも起こった。しかし登場人物たちが再び生きるのは、何ということもない出来事だ。だからこそ、それを思い出すのが愛おしいのだろう。この開かれた空間は、一方では多くのことを排除してもいる。ここにないもののことを考えると、舞台のはかなげな楽しさがふっと貴重で切実なものに思えてきた。

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2010年02月19日 18:41に投稿されたエントリーのページです。

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